原点・日光カンツリーという特別な場所


29年前、私はプロテストを受ける前に日光カンツリーで調整ラウンドを行い、
帰りに立ち寄った日光東照宮で合格祈願の絵馬を描いた。
その絵馬を掛けた時のことを、今も鮮明に覚えている。


そして今年──
その思い出の地・日光カンツリーで日本オープンが開催されると聞いた。
あの名門に今の自分が訪れた時、どんな気持ちになるのか確かめたいという思いもあり、レッスンが終わった後に会場に向かった。
厳しい舞台、そして目を引いた「あの人」

予選カットが+6、アンダーパーの選手はわずか7人。まさに日本オープンらしいタフなセッティングだった。
フェアウェイは300ヤード先でも狭く、ラフに入ればスコアを守るのがやっと。
そんな厳しい戦いの中で、私は石川遼選手とアダム・スコット選手の組を追って歩いた。
だが、私の目を最も惹いたのはフェアウェイ上のプレーではなかった。
静かに試合を見つめるこの大会のラウンドレポーターの田中秀道プロの姿だった。
田中秀道プロという存在
1998年の日本オープンで林から渾身の一打で優勝を決めた覇者。
その後、19年間イップスに苦しみながらも、今またシニアツアーで復帰を果たした。
その記事を読んでいた私は、ずっと一度田中プロにお会いしたいと思っていた。
実況を終えてクラブハウスへ戻る田中プロに声をかけると、
気さくに立ち止まってくださり、サインにも快く応じてくださった。

そして思い切って聞いた。
「イップスで苦しみながら、なぜ辞めずに試合に出ようと思ったのですか?」
田中プロは少し笑ってこう答えた。
「なんででしょうね〜。症状が出た時は120くらい叩くんですよ。
自分でも“なんでやってるんだろう”って泣きながら回ってました。
でも…なんか、ゴルフに恩返しができればなと思って。」
一言で「恩返し」と言ったその言葉に、“苦しんでも離れなかった理由”が色々あるだろうということが想像でき、胸が熱くなった。
イップスと向き合った日々、そして共鳴
田中プロがイップスを語っていた記事の中に、印象的な一節があった。
打開策が見つかり半信半疑で試合に出た時、
「嫌だなー、症状が出そうだなーと思う場面で出なかったんですよ。スコアは良くなかったけど、それが大きかった」
その“嫌な状況、心境の中で症状が出なかった”という経験が、再生のきっかけになったという。
その記事を見たとき私は自分のイップスの状態と重ねていた。
私の場合はクラブを上げた瞬間にバランスが崩れる感覚がある。
その体の違和感を察知すると、動けなくなりクラブを振ることを躊躇してしまう。
それでも、今年は明確な目標を定め、改めて自分のゴルフに向き合ってきた。
まだ完全ではないが、少しずつ「いける」という感覚を掴みかけている。
だからこそ田中プロの言葉が、他人事ではなく“自分事”として響いた。
「恩返し」──その言葉も、私自身が今ゴルフに関わり続けていることにも重なった。
師匠の教えに通じる「ゴルフへの敬意」
思い返せば、師匠からよく言われた言葉がある。
「ゴルフの神様は絶対いる。打った芝の跡を直す、草を抜く、ゴミを拾う。
誰も見ていなくても、それをやる人のところにチャンスは来る。」
当時はその言葉の意味がよくわからないまま善を積むことで、運も味方につけることができると解釈していたが、
田中プロの立ち居振る舞いを見て「一時が万事」と思った。
撮影スタッフへの気遣い、ギャラリーへの穏やかな対応──
本当の意味で謙虚で強い人の姿勢を身に付けられた所作を見て納得した。
繋がりを感じた一日
一方的かもしれないが私はこの日、田中秀道プロと出会いお話を伺ったことで、ゴルフの神様から試練を与えられたもの同士、その試練を乗り越えた先に私たちにしかわからない達成感や満足感が得られる光景が在るように感じた。
かつてプロテスト前に訪れたこの日光の地で、あの日の自分と、そしてゴルフと再び向き合う時間をもらえた。
それが、私にとって何よりの収穫だった。
おまけ:修行時代の味、森田屋ラーメン
ここからは少し“おまけ”です。
日光カンツリーへ向かう前に、修行時代を思い出す懐かしい場所に立ち寄りました。
師匠や兄弟子の中嶋常幸さんも通っていた老舗ラーメン店「森田屋」
店内には兄弟子のサイン入りパネルが今も飾られていて、思わず当時の記憶が蘇りました。
そんな思い出の味を前に、つい写真を一枚。


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