バヤシの履歴書 vol.8

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32 ゴルフを人に教える

東松苑に戻ってしばらくした頃、メンバーさんの一人から「プロが常駐しているならレッスンを受けたい」と申し出があった。

確かにティーチング資格をその時すでに取得していたし指導できないことはない。
しかし自分は仕事をしながら再起を狙っているのだから指導者として活動することは考えていなかった。
ましてやお金をもらってゴルフを教えるなんてとんでもないとさえ思っていたので、和也プロに相談してみた。

「お前はそんなことをするためにここに来たんじゃないだろ」と言ってもらえたら断れるのにと期待していた。

しかし返ってきたのは
「給料もそんなにすぐ上げられなし活動資金も必要だろう。レッスンを受けたいと言ってくれる人がいるならやってみたらどうだ?」
私の期待とは裏腹な答えが返ってきた。

不安はあったがこのメンバーさんの申し出の受けレッスンを始めるようになった。
やると決めると気持ちの切り替えは結構早い。
お金を頂く以上、勉強した方がいいと協会主催の勉強会にも積極的に参加した。

だんだんと伝えたいことが相手に伝わるようになるとゴルフに変化が出てくる。
成果が出て感謝されるともっと頑張ろうと教えることが楽しくなってきていた。

また、人に教えるのは自分が今まで教わってきたことを言葉にする初めての機会でもあった。

そんなある日レッスンに行こうとするところで常幸プロと遭遇する。
常幸プロから
「今からレッスン?お前が人にゴルフを教えていいのか?」と冗談混じりに笑って言われた。

ご本人はジョークとして言ってくれたと思う。
私にはこの言葉がずっと心に棘のように刺さっていた。
なぜなら
「イップスのくせに偉そうに教えて、人前で打てないくせに」とずっと自分をけなしてきたからだ。

誰からもそんなことを言われたわけではない。
自分で自分をけなして自信を無くさせていた。
ただそれだけのことだった。

33 4スタンス理論との出会い。

協会の主催する勉強会に「4スタンス理論」の提唱者廣戸聰一氏が招かれた。

ゴルフ場で開催された勉強会で被験者のカラダの歪みを整えて球を打たせると見違えるように動きが変わった。
打った本人が一番驚いていて、参加している私たちには何が起きているのか意味がわからなかった。

講義の内容は、
人間の身体には4つのタイプがある。
その4つのタイプはそれぞれ関節の動かし方が違う。
自分の身体のタイプに合った本来の動きをしていないと怪我をしたりスランプを引き起こす。と聞き、

参加していたプロやティーチングプロたちは
今まで教わってきたゴルフ理論は自分のタイプに合っているのか?いないのか?
自分が指導していることは押し付けなのか?
ピンと来る人とそうでない人の違いはタイプが違うからなのか?
と会場がざわついた。

その講義を一緒に受けていた先輩プロが4スタンス理論に興味を持ち、一緒に廣戸道場のゴルフレッスンに行ってみようと持ちかけてくれた。
二人ともプロゴルファーということを隠して参加した。

指導してくれたのは4スタンス理論をゴルフレッスンに取り入れていた男子プロ。

レッスンを受けているうちに質問することや体の動きがアマチュアじゃないと見抜かれ、それだったら廣戸先生に会わせるよと言って紹介してくれ、幸運にも廣戸先生と話す機会が持てた。

私は思い切ってイップスの現状を話した。

廣戸先生から「あなたはきっと感性がいいんだと思う。脳が危険を察知して動きを止めたんだよ。イップスになってよかったね」と衝撃すぎる言葉をかけられた。

どんなスイングをしていたのか聞かれたので話すと
「あなたの師匠とあなたは同じタイプだったんじゃないかな?他の人はプロになれなかったでしょ?」と言われた。
確かに師匠の最後の弟子でプロになったのは私だけだった。

続けて「色々な人に教わって本来の動きがわからなくなってしまったと思うからプロテストに受かった時のスイングに戻ればイップスも克服できるよ」と言われイップスが治る!と明るい未来が見えた。

34 師匠に諦めろと言われたライフイベントを経験。

入寮間もない頃、
「お前さん達は自分達の夢に向かってここで汗を流している。この努力が実った時にはOLが1ヶ月働いて稼ぐお金を1週間で賞金として手にする事が出来るんだぞ。昔から二兎を追うものは、一兎をも得ずというだろ。女の幸せは諦めな。」と言われていた。

保護者の前でもよくこの話はしていたので、両親共私の孫の顔を見ることを早いうちから諦めていた。
私も自分の人生の中で【結婚】という二文字は99%ないと思っていた。

それが40を目前となると最後のチャンスとばかりに駆け込みでお見合いの話が舞い込んできた。

建前はゴルフ関連事業をしている人だから自分のキャリアを活かせるかもしれないということでお話を受けた。
でも本当は、現役にこだわって試合出場を目標に頑張り続けることを辞める自分なりの理由が欲しかったのかもしれなかった。

QTを目指してコーチをつけトレーニングに時間をかけて臨んだ結果、目標のQT出場までは達成できた。
しかしそれ以上は自分の実力では難しいことは本当はわかっていたのかもしれない。
それを自分自身認めたくなかったし、支えてくれた人に申し訳ないという気持ちで言葉にしなかったと思う。
この時の気持ちを振り返ると少し重くなり言葉を選んでいるのでまだ未消化な感情が残っているのだろう。

当時は自分の本当の気持ちに向き合うことができていなく、おめでたい話なのに行動がおかしい。結納の日程が決まるまで父親に知らせなかったこともその一つだった。

自分の中で覚悟が決まった時に一番に知らせたかったのが同期の親友だった。

レッスン中だった彼女は「え?うそ?掛け直す」と電話を切ったが、掛け直した電話口で泣きながら祝福してくれた。
何でも話してきた親友にずっと話せなかったことが心苦しかったが、自分ごとのように喜んでくれた親友の言葉が嬉しかった。

結婚生活は7年ほどだったが、妻・嫁・女性という立場から話すとどうしても男性側を責めてしまいがちなのでこの7年間の話は今まであえて公な場所でしてこなかった。

35 父の死。

]ライフイベントを終わらせるきっかけは父の身に起きたことも大きかった。
父が70歳の古希の誕生日を6月に迎え親戚、家族に祝ってもらったその秋のこと。

母から一本の電話が入った。
滅多に連絡をよこさない母からの電話は、全く予想もしなかった父の危篤のしらせ。

朝、父が店を開けその後外で運動をしている時に体調の変化を感じ
母に手が痺れていると訴え家に入ってきたらしい。
母が救急隊員と連絡を取っている時に「早くしてくれ」と母の手を強く握ったのが最期だった。

医師から脳幹破裂で手の施しようがないと母は宣告されていた。
私が病院に駆けつけた時には、ICUで口や鼻に管が通った父が横たわっていた。
私が父に声をかけるとモニターの脈が大きく振れた。

久しぶりに大きくゴツい父の手を握った。

小さい頃ウチの両親の夫婦喧嘩は凄まじく、密集した住宅街の商店街に店を構えていたので夜、父親の怒鳴り声が近所に響く。
母に手を上げないことを約束して結婚したと後で母に聞いたが、手をあげなきゃいいって問題じゃない。

私の2つ上の兄は普段から大人しく争い事が苦手だった。

2階で寝ていると深夜夫婦喧嘩が始まる。
目を覚まし兄と階段の上に座り下の様子を伺っていると父の怒鳴り声がエスカレートしていく。
「お兄ちゃんどうしよう、お母さんがやられちゃう」と私が兄にすがる様にいうと
「おまえが行けよ」と言われる。

兄貴がいかないので、泣きながら二人の間に割って入ると興奮していた父に私が吹っ飛ばされ、母が激怒し父に向かって反撃をする。
さらに夫婦喧嘩がエキサイティングになった。

しかし不思議なことに夫婦喧嘩をしても翌日か長くて数日経つと両親は普通にしている。
子供心に突然キレる親父が嫌いだった。夫婦喧嘩を止めにいかない兄貴も頼りないと嫌いになった。

兄と私は父方の顔つきにそっくりで父、兄、私が三人並ぶと同じ顔しているとよく言われた。
店に来るお客さんから「お父さん似で可愛いわね〜」とよく言われた。
私はこの言葉が大っ嫌いだった。

父は娘から慕われたい、一緒の時間を過ごしたいとか、事あるごとに口にしていた。
正直で素直な人で、恥ずかしげもなく人前でそんな話をしていた。
そんなに言われたら母の手前、余計に拒絶するのに。

幼い時の出来事は、感情が随分と振り回されてきた。
今でもまだまだ向き合ってない事がたくさんある。
父が倒れた時は母の役に立ち、父の最期をちゃんとしなきゃと気丈に振る舞っていた。

ICUで父に付き添っていた時、研修医が鼻から溜まった血を抜く処置を慣れない手つきで管を入れていくのが気になった。
その時、危篤状態の父の体が大きく動いて痛そうに顔を歪めてもがいた。
私は研修医に向かって猛烈に抗議していた。
他の看護師さんが飛んできて父の対応を研修医に代わって対応してくれた。
それでも私の怒りと興奮が冷めなかったので現場責任者の看護師さんが別室に連れて話を聞いてくれた。

「やれることを精一杯やってますっていうけど意識のない父が仰反るほど痛がる姿を目の当たりにしたら、もっと丁寧に扱って欲しいと思うのが家族の願いですよ。

みなさんにとっては日常的かもしれないけど、もうすぐ命の火が消えるかもと覚悟を迫られている家族のことも少しは考えて欲しい」
結構強い口調で抗議した記憶がある。

今まで父を嫌って避けていたが、
やはりかけがえのない家族。
自分の気持ちをシンプルに出した一幕だった。

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