バヤシの履歴書 vol.1

1 ゴルフとの出会い

父が元高校球児で少年野球チームのコーチをしていたため、 2つ上の兄の後について私も幼い頃から野球に親しんでいたのもあり、 中学ではソフトボールを選択。
首位打者としてチームに貢献していた。 高校に入ってもソフト部に入部。

最後の夏季大会が終わり卒業までの半年間に別の形でソフトボールを続けたいと思っていた私に母が、
「ソフトボールを続けるよりゴルフをしてみたら?」
何気なく提案したことがきっかけで 私の人生の軸が大きく変化した。
母は、キャディさんの仕事を尊重できるように、また謙虚さを持つようにと高校3年の私にキャディのバイトをすることを勧めた。

キャディ服と言えば大きなヘルメットにほっかぶり。
高校生だった私はその制服姿が嫌だったが、 高校生のバイトを認めていなかった本厚木カンツリークラブが、 メンバーだった伯父の頼みとあって特別に許可したので嫌とは言えない状況。
私は一生懸命バイトするしかなく、 真夏に手押しカートで重たいクラブを乗せて頑張った記憶がある。

バイトにも慣れひとり立ちしてお客様につきキャディをしていたある日、 最終ホールの上り坂で必死にカートを押している後ろ姿を見て一人のお客様が
「君、いいお尻しているね。プロゴルファー目指したら?」 と声をかけてくれた。
そのお客様は日本女子プロゴルフ協会の事務局の方で、女子プロを紹介するから尋ねてみなさいと連絡先を教えてくれた。

プロゴルファー?
ゴルフを職業にする?

両親ともゴルフをする人ではなかったので何の話か全く分からず、 その時初めてプロゴルファーという職業があることを知ったのだった。
伯父に話したらすぐ色々な人に声をかけ情報を集め出し、 私の意思とは関係ないところで私がプロゴルファーを目指すというストーリーが動き始めていた。


2 東松苑での研修生面接

それからは高校卒業後の進路について、 進学するか? プロゴルファーを目指すか? の二択で話が進んでいた。
そこに平成元年、中嶋常幸プロの実父巌氏が栃木にゴルフ場をオープン予定で、一期目の研修生を募集するという情報が入った。

「教わるなら男性の方がいい。しかもトッププロを育てた人がいい」 という叔父の勧めで、ゴルフ雑誌に掲載されていた研修生募集に応募した。

面接会場の栃木県足利市にあるゴルフ場へ行ってみるとクラブハウスには全国から集まった男女50人以上の若者がいた。 その中で女性は10人程度しかいなかった。
募集要項に初心者可と書いてあったものの、いかにも「ゴルフしてます」という雰囲気の勢いのある人ばかりで私は圧倒されていた。

面接は一人ずつ。 クラブハウスの真ん中に用意された椅子に呼ばれ社長の巌氏と1対1の面接。
長い時間待たされいよいよ私の番に。

聞かれたことは2つのみ。

まず「両方の親指を見せてみろ」と親指を立てて見せるように言われた。
恐る恐る見せると一言、
『ん』 とドスのきいた声で社長は頷くだけ。

次に「お前さんは、スターになりたいのか?金持ちになりたいのか?」という質問。

18歳の私は何が正解なのか?
どう答えたらこの社長のお眼鏡にかかるのか?
頭の中でぐるぐると答えを探して選んだのは、
「スターになりたいです」

その言葉を聞いて社長はまた 『ん』 と頷いただけ。

全員の面接が終わると社長はこう言った。
「男子は距離のある福島のゴルフ場へ。女子は東松苑で。今5番ホールで和也が練習しているからお前達がこれから目指すプロゴルファーの球を見てこい」
常幸プロの実弟でデビュー戦優勝を飾った中島和也プロ(現東松苑社長)の練習風景を特別に見せてくれた。

初めて見るプロゴルファー。 立ち振る舞い、スイングが衝撃的で自分は大変なところに来てしまったと思うと同時に、 この豪傑な社長の元で5年修行したら、自分の人生が今想像する未来よりも輝いたものになるように見えたのを今でも鮮明に覚えている。

地元相模原で生まれ育ち、親元を18歳で離れることを想像もしていなかった私と家族は その日から合否の報せを待つ日々を過ごすことになった。

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